名店に捧ぐ、神様カレー
偏愛という言葉は、手元の辞書によれば「(関係する者を平等に愛すべき立場にある人が)特定の者だけを愛すること」とある。どんなカレーでも博愛したい気持ちはあるものの、「俺だけの」と特別視したくなるカレーに出会うこともある。
京橋の路地裏を歩いていたときにふと見つけたのが「3丁目のカレー屋さん」。店ができてすぐのことだった(はずである)。地下に下りて入店すると、趣ある店内に巨大なサウンドシステムが設置されていて、ジャズがかかっていた。
何の気なしに頼んだシーフードカレーにダウンを奪われることになるとは思ってもみなかった。和風の出汁がスパイスの香りと絶妙にマッチし、スープカレーのようにサラリとしたソースは僕好み。プリップリの魚介類たちと共にほお張った。
以来、足しげく通い、しばらくすると僕は「あの店は紛れもなく俺が発掘したのだ」と都合のいい勘違いをし始めた。店主と面識はあるものの、深入りするのを控えていたこの店の調理場に潜入したのはつい最近のこと。目の前でシーフードカレー調理を披露してもらった。
オーダーが入ってからエビやホタテ、ムール貝などを時間差で加熱調理しながら1皿ずつ仕上げていく。土鍋のふたをして余熱で蒸し、サーブした直後に最上のカレーが完成する。裏でこんな緻密な創作が行われていたのか。二度目のダウン。立ち上がれずノックアウト。ちなみにこの店で他のメニューを頼んだことは一度もない。これもまた僕の偏愛である。