吒枳尼眞天とは

「宮守」とは

 代沢稲荷のお社をリニューアルした直後、私は便宜上「宮司」と名乗っていました。

 「宮守」と書いても、ほとんどの方には意味が伝わりにくく、そのたびに一から説明をするのもどうか、そんな小さな打算もあってのことです。けれども、代沢稲荷の成り立ちや、ここにお祀りしている尊天のお姿を思えば思うほど、「宮司」という呼び方は、どこかしっくりこないままでした。
 代沢稲荷は、江戸時代から続く神仏習合の稲荷社です。明治維新のとき、多くの寺社から仏さまが追い出されてしまった「廃仏毀釈」の荒波を、ここは不思議と免れました。そのおかげで、吒枳尼眞天像をお祀りするこのお社は、江戸時代からほとんどそのままのかたちを今に伝えています。
 ご本尊は、諸願成就の護法善神である吒枳尼眞天。いわゆる「お稲荷さん」というと、神社の稲荷神をイメージされる方が多いと思いますが、代沢稲荷の場合は、仏教的な色合いがかなり濃いお社です。
 一方で、「宮司」というのは、本来は神社における神職の長を指す職名です。地域の氏子さんに支えられた「神社」という枠組みをもったお社に用いられる呼び名であって、仏教要素の強い、しかももともとは屋敷の邸内社として守られてきた代沢稲荷には、少々“服がぶかぶか”のようにも感じられます。

 では、ここを預かる者の呼称は何なのだろうか? あれこれ考えた末に戻ってきたのが、「宮守(みやもり)」という言葉でした。宮守とは、本来はお社を守り、日々の管理やお世話をする人のこと。立派な肩書きというより、生活の延長線上でお社を見守る者、その実感に、いちばん近い呼び名です。
 神仏習合の小さなお社である代沢稲荷を、これからも地道に「守り、伝えていく」役割を考えると、やはり「宮司」よりも「宮守」がふさわしい。そう思うようになりました。これからは、少し説明に手間がかかったとしても、私は「代沢稲荷の宮守」と名乗っていこうと思います。

 江戸から続く神仏習合のお社をできるだけそのままのかたちで、そして、いまの時代の祈りと静けさを重ね合わせながら、そっと見守っていく。そんな「宮守」の仕事ぶりを、この雑記でも少しずつお届けできればと思っています。

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