吒枳尼眞天とは

名店に捧ぐ、神様カレー

文・水野仁輔

 寸胴鍋に長いレードルがゆっくりと沈んでいく。店長はまるで儀式を執り行う祭主のような面持ちで、右手を小さく上下させた。コン、コン。鍋底を優しく2回叩く音。まもなく、ごはんにかけられたカレーソースの中から見事に牛肉が2切れ現れる。一連の所作は魔法のようだった。

 この描写は、大阪の老舗『インデアンカレー』について友人が語ってくれたものである。「何度行っても必ず『コン、コン』で牛肉が2切れ入るんですよ!」と興奮している。そんなアホな。突っ込まずにはいられない。「コン、コン」と牛肉に合図を送っているとでも? 「おいで、おいで」って? まさか、ねぇ。

 カレー店に足を運ぶきっかけは、思わぬところに転がっている。僕は、実に15年以上ぶりに『インデアンカレー』を訪れた。客の少ない時間帯を狙い、目の前に寸胴鍋をキャッチできる席に座る。カメラを構えて固唾をのんだが、「コン、コン」には出会えなかった。2日後に再訪しても結果は同じ。ウソつき……。

 確かに「コン、コン」を除けば、盛り付けは素早く美しかった。オープンキッチンは舞台。伝統芸能のような厳かさを感じ、スプーンを握る手に力が入る。まったりとした甘味の奥にビリビリとくる辛味。濃厚なカレーは、不思議なことに再訪時のほうが、はるかにおいしく感じた。きっとこんな具合に80年近く、おびただしい数のお客さんを虜にしてきたのだろう。帰京した今、3度目をいつにしようかと考える自分がいる。

この記事をシェアする