吒枳尼眞天とは

名店に捧ぐ、神様カレー

文・水野仁輔

 あのカレーを食べたい、という気持ちになるとき、僕には大まかに2通りある。味が浮かぶ場合と景色が浮かぶ場合だ。新宿『王ろじ』の「とん丼」は、後者。唯一無二の立体的造形美を備えたカツカレーどんぶりある。

 ロースカツの脂肪分を適度に取り除き、叩いてのばし、俵形に丸めて揚げる。斜めに切った3つを寄り添うように立たせて盛り付けると、カツの断面は天を望む。そこへソースがたらり。やわらかくジューシーで味わい深い

 カレーの方は小麦粉でとろみのついた昔ながらのカレー。隠し味に焼きりんごを使っているようで、甘酸っぱさと香ばしさがアクセントとなっている。どんぶりご飯の上、トンカツたちを支える大地のように横たわる。

 脇の小皿に控えめに添えられた浅漬けまで含め、バランスよく口に運ぶことで作品が完成する。ああ、追加でとん汁を頼んでおくべきだったか。いや、その贅沢は何かを頑張ったときのご褒美にとっておこう。そんな逡巡楽しい。

 他のどこにもない姿をしたカツカレーどんぶり。孤高のスタイルを貫き、喧伝することもなく、淡々と営業を続けている。名物メニューがカレーでありながら、店はあくまでもとんかつ店である点も興味深い

 歌舞伎落語などの伝統芸能の世界では、所作や立ち振る舞いに風格が宿る。一朝一夕には醸し出せない味わい深さ。茶道や華道のような世界もそうだろうか。それらに似て「とん丼には年月が育てた美があるように思う。

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