吒枳尼眞天とは

名店に捧ぐ、神様カレー

文・水野仁輔

 数年前、大切な友人を失った。彼が好きなカレー店は、『ブレイクス』だった。激辛のビーフカレーに心を奪われ、「あの味を再現するんだ」と意気込んでいた。僕はそれに付き合い、店主の赤出川さんに無理を言って何度かアドバイスをもらったこともある。

 訃報を聞いた数日後、僕は『ブレイクス』へ行った。二人分のカレーを頼んで一人で食べる。彼のためのビーフカレーと自分のためのバターチキンカレー。ランチタイムの終わり、静まり返った店内には、ゆったりとした時間が横たわっていた。

 この店には「コンビネーション」というスタイルがある。いわゆるあいがけで、5種類の中から2種類のカレーを選ぶ。僕は3パターンを気分によって選び分けている。食べ応えのあるドライなキーマと鮮烈な辛さを抱くビーフを選ぶのは、自分を律したいとき。ビーフと優しくまろやかなバターチキンというバランスのいいコンビは、穏やかな日常。バターチキンとキーマは、カレーに甘えたいときだ。

 一度で二度おいしい幸せの裏側で、「欲しいものは手に入らない方がいい」、「いつだって少し足りないくらいがいい」とも思う。あのカレー体験は、ちょっと贅沢がすぎる。

 そんな僕は今、実はおおいに動揺している。『ブレイクス』が無期休業中なのだ。手に入らない方がいいんだって? 本当かよ!? いやいや、僕はまた大切なものを失うのかもしれないというのに。どうかそれだけは勘弁してほしい

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