吒枳尼眞天とは

名店に捧ぐ、神様カレー

文・水野仁輔

 誰もが自分の居場所を探している。そう思う。旅先でふいに例えようのない寂しさに襲われたりするのは、そこに自分の居場所がないことに気づいてしまうことがあるからだ。少なくとも僕の場合はそういうことがよくある。

 カレー店では、そこが店主や従業員の居場所となる。久しぶりに銀座『ナイルレストラン』を訪れた。かつてこの店の顔だった派手なシャツの男、G.M.ナイル氏の姿はない。3代目を継いだナイル善己君が店の中心にいた。

 いつものムルギーランチを頼むと、シェフのラジュが笑顔で鶏肉の骨を取り除いてくれる。僕はフォークだけを使って全体的に混ぜ合わせ、食べた。それが粋だ、とかつて2代目に教えてもらったことがあるからだ。

 日本最古のインド料理店は、あと数年で80周年を迎える。看板メニューのムルギーランチは、日印友好の証。インド独立運動の革命家だった初代A.M.ナイル氏の妻(日本人)が旧満州在住時にインド人から習った。

 味も香りも食感もバランスが取れて食べやすい。慣れ親しんだ風味に気持ちがほどけてくるから、「もしやここにも自分の居場所はあるのかも?」なんて勘違いしたくなる。よほどの常連客でない限り、そんなはずはないのだけれど。

 当たり前だが、店の歴史が長くなれば顔となる存在は代替わりする。でもお客に愛される看板メニューはずっと変わらない。『ナイルレストラン』が居場所として最も歓迎しているのは、実はムルギーランチなのだ。

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