吒枳尼眞天とは

名店に捧ぐ、神様カレー

文・水野仁輔

 「ゆく河の流れは絶えずして」と始まれば「方丈記」。「しかも、もとの水にあらず」と続く。世の中は無常。常に同じものはない。老舗のカレー専門店を想うとき、この一節が頭に浮かぶことがある。
 たとえば長年メニューを変えない店に10年ぶりに行くとする。「昔と変わらずおいしいな」と思う。でも10年前に食べた味を正確に記憶しているわけではないし、あの時とこの時のカレーは、同じであって同じでないからだ。
 いつぶりなのか思い出せないほど久しぶりに山形にある『ナーランダ』を訪れた。扉を開け、顔をのぞかせるとおかみさんが少し怪訝そうに「水野、さん?」。「はい、ご無沙汰してます!」。店主の高橋さんとの再会を果たした。
 ホットカレーを頂く。さらりとした褐色のカレーソースには馴染みがある。高橋さんがかつて修業した上野『デリー』のカシミールカレーを僕は普段から食べているからだ。とはいえ、創業44年の経年変化により独自の姿に昇華している。
 ウスターソースのような風味がして辛うまい。そこに使われているはずのない材料の風味がするとき、僕はシェフの腕前に感服する。滅多にないことだが、変わらぬおいしさを求め、長きにわたる微細な改良を重ねてきたことの証だと思う。
 食後、短い時間だが昔話に花が咲いた。別れ際、高橋さんがつぶやくように言った。「いやぁ、今夜は、興奮しちゃうな」。確かにそう聞こえた。もし空耳だったなら、それは僕の興奮のせいかもしれない。

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