吒枳尼眞天とは

名店に捧ぐ、神様カレー

文・水野仁輔

 人は歳を重ねると角が取れてくる。「丸くなったよね」とか「昔は厳しかった」などというセリフを聞くのはきっとそのためだ。僕自身も穏やかな性格になったという自覚がある。たいていのことに動じなくなった。
 栃木県益子の『けらら』を訪れたとき、「カレーにも同じことが言えるのかも」と考えさせられた。かつて九段下にあった南インド料理のパイオニア的存在『アジャンタ』(現在は麹町で営業中)で働いた山本さんが地元に構えた店である。
 お会いするのは実に20数年ぶり。チキンカレーとキーマカレーを頼んだ。どちらもインド料理エッセンスを残しつつも口当たりがまろやかで食べやすい。窓から入る木漏れ日すら優しく、ゆったりとした時間の中で会話が弾む。
 この地で47年もの間、営業を続けている。山本さんは73歳になった。「この作り方しか知らないからさ」とにこやかに笑う。曰く「アジャンタぶんぬきの料理」だそうで、「何も変えずそのまま」ということらしい。
 僕の中にある『アジャンタ』のキーマとチキンは、もっと刺激的な香りがし、ビシッと辛く、横っ面を張り倒されるような味わい。「もし味が違うなら、変わったのは俺の方じゃなくて『アジャンタ』の方だよ」。
 カレーがこなれている。人と同じくカレーだって成熟するのだ。僕のような未熟者ですら時が経てばそこそこ食える存在になる。47年の歳月を乗り越えた『けらら』のカレーは、もはや完熟の域に達していると言っていい。

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