名店に捧ぐ、神様カレー
きれいなあなたに見とれているうち、100年くらいすぐに過ぎていく。夕焼けの美しさを歌うバラードをよく聴いている。もしや“あなた”は夕焼けという名の恋する誰かなのか。「100年くらいすぐ」というひたむきさがいい。
日本最古のインドカリーは、もうすぐ誕生100年を迎えようとしている。『新宿中村屋』の定番メニューだ。総料理長の二宮健さんと久しぶりにゆっくりお話しさせていただくと、優しく軽やかな調子で「今年で97年なんですよ」。
インド独立運動の革命家だったラス・ビハリ・ボースが残した味わいを今に伝えている。鶏肉のうま味、乳製品のコク、玉ねぎの甘味による高次元の鼎談。独自にブレンドしたカリー粉の香りが司会進行。
グレービーボートにうやうやしく盛られたカリーをドバッと躊躇なくご飯にかけるのが僕のやり方だ。伝統に即興をぶつけることで屈折した贅沢を味わおうという魂胆。人目をはばからない行為に一抹の低劣を感じながら。
このカリーは、「恋と革命の味」と呼ばれている。ボースが日本へ亡命した際、中村屋の創業者夫婦にかくまわれ、娘の俊子と恋に落ちたことに由来する。ふたりも「100年くらいすぐ」という絆だったんじゃないか。
二宮さんは、今、新定番となるカリーを開発中。「(完成すれば)200年までは大丈夫ですね」とまた軽やかに笑った。そんな彼は、中村屋勤続70年を超えている。恐れ入りました。若輩者すぎる僕にはおいしく味わう以外の手が見えない。